夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

私は、若いころから必死に定型の人に合わせようとしていた

こんにちは、謙児です。

私は、アスペルガーなんですけども、

必ずしも感情を理屈でしか理解

できない人ではないようです。

ただ、ごく稀にですが、

とんでもなく非常識に他人の感情を

無視した言動や行動がみられます。

それをやらかすと、縁を切られかねない

ほどですが、そこまでひどいものは、

ごく稀にしかリアルでは出ないので、

私は恵まれていたほうなのかも

しれません。

もっとも、実はアスペだった、

ということは、弁解の理由には

なり得ませんが。

私にひどいことをされた相手は、

それが障害のせいだったなんて伝えると、

余計に憎悪と偏見を感じることでしょう。

何が悪かったかの本質も、本人が

気付いていなかったのですからね。

やっぱり、アスペとわかった今でも、

何が悪かったのか理解し、

常に反省する気持ちはとても大切だと

思っています。

さて、実は私は、かなり幼少の頃から、

本当の自分は集団の中では破天荒で

メチャクチャな人間であることは

ちゃんと理解していました。

しかし、本当の自分を素直に表に出すと、

いつか総スカンを食らうように感じてくると、

本当の自分を偽って、普通(定型)の人に

合わせよう、とそれが障害?とは知らずに

必死になっていたことが思い出されます。

今では、普通に接していても、

「変わった人」とは思われるでしょうが、

「本当はアスペなんじゃないの?」と

思う人は最初はあまりいないのかも

しれません。

その代わり、定型の人に合わせようと

するあまり、私は対人関係で

極度の緊張をするように

になりました。

そして、緊張が度を過ぎてしまうと、

結局、破天荒な自分が姿を現し、

周りから呆れられる。

私の実態とはそうです。

緊張の度を超すことが多くなると、

精神的不調も出やすくなるのです。

ただ、実を言うと具体的にどういう

言動や行動がそうなのか、

自分で理解できていない部分も

多少はあります。

ですから、どこでも「変わった人」

にはなってしまうわけです。

もちろん、必ずしもではありませんが、

環境によっては「異常な人」になります。

もっとも、思考のおかしな部分を

理解していることもある訳で、

わざと過激なことをことをしたい

時は、素の自分を出す、という

使い方をしていた気がします。

こういうメカニズムをお伝えすると、

私が発達障害であることを、

何故その言葉がふさわしいのかの

一端が見えてくるのだと思いますが。

ですので、

「私は、考え方がオカシイ自分の本質が根底にありますよ。

ただ、一生懸命正そうとしています。」

と説明したほうが、理屈としては納得を得やすいでしょう。

もちろん、そういう部分が他人に理解

されてくると、離れられるのも道理です。

なので、私はずっと「自分は人間としての価値のない人物だ」

と本当は思っていました。

というか、その通りですね。

実際は、自分でも気付いていないだけで、人並み以上に

他人に不快な思いを実はさせていて、

自分でもわかっているような、いないような。

私自身もそんな感じだと思います。

では、似た者同士集まればいいのか、というと

必ずしもそうではないと私は思ったりします。

自分で気付かない、他人にとっては不快な行動や言動

というのは、人によって差異がありますから、

私はトラブルが起こりやすい気がしてなりません。

ですから、同士と交流を深めていきたい思いもありますが、

気の合う人は慎重に探す必要がある、と

考えたりします。

地元にも当事者会はありますが、なかなか参加する

踏ん切りがつかないのは、こういう懸念もあるためです。

でも、これまとめてたら、自信がなくなってきた。。。

そういう脳だから、私はいつ気付かずに

爆弾発言してしまうか、わからないような人なのか・・・