夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

つい、反応してしまったのだけども

こんにちは、謙児です。

なんか、次のニュースが今、沸騰しています。

私も思わず反応してしまったので、

やっぱり、感じることは大きかった、

ということでしょう。

「俺は東大生だぞ」と天王寺で駅員に張り手

 「俺は東大生だぞ」「お前らとは格が違う」などと線路を渡り、大阪市営地下鉄の職員に手を出したという東..........≪続きを読む≫

私の学生時代の成績は、トップクラスほど

ではなかったので、運良く?

こうまではならなかったのだと思いますけども、

ちょっと運命が違っていれば、

こうなっていた可能性もある訳で、

耳の痛い部分もあるのは確かです。

とは言え、中学時代は、十分に2流の

進学校なら狙える成績でしたので、

担任の先生からも、

「ぜひナンバー2の高校へ行け。

そこから有名国立大学に行く人も多いから、

頑張っていい大学を狙って、行って来い」

なんて、指導されていた程でした。

一応、公立の普通の中学でも、ですよ。

確かに、あの時代は、偏差値の高い大学へ

入れれば、大手企業へエスカレータ式に

入れていた風潮は強かったですから、

安定した豊かな生活のために、

より高い学力を身に付けろ、

というのは、日本中の暗黙の了解で

あったのは、事実だと思います。

高校の時の成績は、どうも鬱も入っていた

こともあって、最悪でしたが、

2年浪人しつつ、

「大学に行かない選択肢」なんて、

全く考えたことすらなく、

指導の通り、大学へ行くことになる

訳です。

ですが、実はその時点でも私も薄々

気付いてはいたのです。

「成績がいいから、深く考えずに大学進学を

目指している人より、高校を出てすぐ就職

するつもりでいる人のほうが、

よほど世の中のことや、自分の将来のことを

真剣に考えているな、と。」

折しも、大学在学中にバブルが弾けました。

企業は採用人数をどこも大幅に減らし、

「超氷河期」と呼ばれるまでになった時、

私は就職活動の時期を迎えたのです。

もっとも、今に比べれば、それでも

当時の就職のほうが、全然マシな訳ですが、

「いい大学に行けば、いい会社に入れる」

という方程式が崩れた、まさに、その瞬間でした。

さすがに、当時なら、就職できない友人までは

いなかったですが、みんな入りたい会社を

妥協して、内定をいただけるだけありがたい、

と、たまたま採用が決まった会社に、

割り切って入社していたものです。

当の私もそうでした。

どうせ、その会社に行くなら、

2年も浪人せずとも、現役の時の

成績で入れる大学に行っていても、

別に入れたような会社にしか、

行けませんでした。

「できるだけいい大学へ行け、なんて、騙された!」

そんな声も多く当時は聴かれましたね。

それほど、大卒の就職が急激に厳しくなった

時期でもあったのですが、

今思えば、それでも高卒ですぐ働こうと

していた人よりも、緊迫感がなかったような

気もしてならないのです。

当時の呆れた例ですが、

面接で

「何故、営業職を希望しているのですか?」

と、問われて、

「いや、文系なら、普通は営業職に就くものだから」

なんて、答えていた人もいたほどでした。

そこは、

「人に良いものを勧めるのが好きだからです。

御社の製品は自分にとって誇れるものだから、

ぜひ、多くの人に、その良さを知ってもらえる

仕事がしたいんです。」

とか、

営業職を受けに行っているくらいなら、

そのくらいは言いましょうよ、って感じです。

ていうか、バブルの頃は、さっきのような

呆れたことを言うような人も、大学が良ければ、

採っていたのしょうか・・・

それか、珍回答が出そうな質問は、

しなかったのかな?

ともかく、これは一例に過ぎませんが、

当時から大学生は、あまり自分の将来のことを

深く考えていなかったみたいなのですね。

会社を選ぶ基準も、ネームバリューとかで、

数を受ければ、どこかに引っかかる、

という意識しかなく、一貫性のない

様々な業種をいろいろ受けている、

というのが実態だったように思います。

でも、バブル期までは、入社試験はいい加減でも、

入社時の研修でみっちり鍛えて、

改めて適性を直接判断し、配属を決めていましたから、

そういうレールがしっかり敷かれていた

時代なら、大学名だけで採用を決めても

よかったのかもしれません。

逆に言うと、面接でマトモなことを言う人が

少なかったから、大学名を採用基準に

するしかなかったのかもしれません。

それで、「東大卒の私が言うのだから、これを買いなさい」

なんて、客先で言いそうな人は、

経理とか、情報システム部に回せばよかった、

というのもありますしね。

たぶん、今でも官僚の世界なんかには、

そう言いそうな人も結構いそうです。

しかし、そう思うと、大学受験までの、あの

学力競争は、一体何だったのだろうか、

という気もします。

実は、その答えは私はわかっているのですが、

「マニュアル化された、

ルーチンワークを素早くこなす能力を鍛える」

それが、私の時代までの教育だったのです。

高度経済成長期以降、日本のビジネスは、

教科書の通りにやってさえいれば、

利益が出たものなのです。

もちろん、今は時代が違います。

「その教科書、間違っていませんか?」

こういうことを言える人でないと、

社会で活躍はできません。

それで、東大に受かるための勉強だけでは、

その資質があるかどうかは、

判別など、できるわけもないのです。

そういう意味では、仕事はサッパリできなかった

とは言え、新卒後すぐ、向いてない泥臭い営業職に

就かされたのは、

いい経験だったのではないか、という

気が、今でもとてもしています。

新卒の時、あれだけ入社試験に失敗

し続けていたのに、転職する時は、

不思議なことに、実はあまり苦労を

していないのです。

一応、これでも結構な数の転職を経験していますし、

障害者オープンの採用試験までパスしてしまった、、、

確かに、これは現実なのです。

「あなたは、『就社』意識でなく、『就職』意識が高いので採りました」

こう言われたこともありましたね。

ですから、今の時代は、親方日の丸・経済大国日本

という意識を持つことは、捨てたほうが、

ベターだと、私は考えます。

つまり、私が言いたいのは、

「教科書を捨てろ」

というのと、同義に近いかもしれません。

数十年、マニュアル化による効率化をはかり、

そのための教育を続けてきた結果、

日本人は、何でも「教科書」を求める

習性ができてしまいました。

起業するのにも、「教科書」を求めたがる

人が多いほどです。

手引書に従って会社を興して、

社長になっても、私はそれは起業

だとは思いません。

単なる「雇われ社長」です。

困ったことに、日本の起業家を養成する

機関や、金融機関でも、暗黙のうちに

教科書が存在し、それに則って

いなければ能力がない、と

みなされて、支援を受けられないようです。

私がかつていた、大成功を修めたベンチャー企業

最初はそうだったとのことです。

「そんなこと、日本で実現できる訳がない」

と、いろんなところから融資を断られ、

結局、アメリカのベンチャーキャピタル

頼ったのだそうです。

アメリカのこういう機関は、どうやら

発想がかなり違うらしく、

相当に規模が大きいところでも

賛同を得られ、それはそれは巨額の融資を

受けることに成功したと聞いています。

そして、元々アメリカのベンチャーキャピタル

保有していた株式はその後、異常な高値を付け、

今では全部売り抜いていて、

莫大な利益をもたらした。

もう、逸話、と言ってもいいほどですね。

そういう私も、その会社のカラーを、

色濃く受け継いでいるんだな、

書いていて、ふと、そう思った次第です。

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