夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

私の入院生活3

こんにちは、謙児です。

保護室での生活は、

幸いなことに1週間程度で

済みました。

食事をひっくり返したりは

しましたけど、ほとんどは

寝てばかりいたので、

保護室に入れられたことの

苦しみは、あまりなかったようです。

ほどなく、本数制限はありますが、

喫煙も許可され、閉鎖病棟ながら、

割ときれいな個室の部屋に

移してもらえました。

閉鎖病棟、と言ってもその形態は

病院によって様々ですが、

私が入院した病院は、

普通の病室だけど、鍵がかかっていて

外に出れないだけ、というものでした。

また、その病院では

レクレーション活動も盛んで、

強制的に参加させられるのですが、

何もすることがなくても

困るので、最初はありがたく

感じていたものです。

症状も日に日に落ち着き、

数週間後には、解放病棟に

戻ることが決まって、順調な

回復に胸を躍らせたものでした。

ところが、解放病棟が

どんな感じか把握していないまま

だったので、ちゃんと動ける

状態になって戻ってみると、

違和感を覚えました。

まず、閉鎖病棟に比べると、

圧倒的に人の数が多く、

いつもホールは大勢で

溢れていたので、

落ち着くに落ち着けない、

ということ。

それを避けて部屋で

横になっていようものなら、

怠け癖がついてはいけないと、

起きて部屋から出るように、

看護婦から怒られる始末。

明らかに居心地が悪かったのです。

更に、数十年社会的入院

している人について回られたり

して、困惑したのを今でも

よく覚えています。

ただ、解放病棟の婦長さんは

私に理解がある人でした。

4人部屋では落ち着けないだろう、

と空き部屋を片付けてくれて、

個室部屋にしてそこへ私を

招いてくれました。

大変ありがたい話だったのですが、

しばらくして、また閉鎖病棟

戻す、という主治医の指示が

出ることになります。

原因をよく覚えていないので

恐縮ですが、たぶんその時の

絶望感は相当なものだった

はずです。

こうして大きな焦燥感に

つつまれながら、

いつ退院できるかの目途も

さっぱりわからず、

入院生活が更に進んでいくことに

なります。

つづく・・・

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