夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

私の入院生活1

こんにちは、謙児です。

今日から、久々に続き物です。

私の入院生活について、

綴っていきたいと思います。

ただ、なにぶん一番ひどかった

時の状態ですから、あまり

記憶に残っていない点も

多いのですが、

思い出せるところを何とか

掘り起こしてみようと思います。

また、生々しい話も出てくる

かとは思いますが、

その点はご容赦下さい。

以前から書いていましたように、

私に症状が本格的に出たのは

10年前の29歳の時で、

仕事で徹夜が続いて、その状況

から、脱却できそうにない

のが発端でした。

その当時から、既にクリニックには

通っていたのですが、

正直、既に気休めにしか

なっていなかったように

思います。

常に気分が悪い状態で

あったはずですが、

仕事をすることで、

忘れようとするような、

思えば悪循環で最悪な

状況でした。

思い切ってしばらく休職することにし、

一旦は復帰したのですが、

仕事の山は相変わらずで、

ウンザリして出社拒否を

起こすようになりました。

その間、どうしていたのかというと、

それまでギャンブルなど

ほとんどしたことなかった

のに、何故だかインターネットカジノ

にハマっていました。

最初に、少々儲かってしまったのも、

いけなかったようです。

支払いがクレジットカードなので、

気がつけば、ずっと負け続けて

いるのに、どんどん借金して

お金を賭け続けていました。

ほどなく、その借金が

払えないほどの金額に達したことに

気付き、

「もう、死んでしまいたい」

と本気で思うようになった次第です。

その時は横浜でひとり暮らしを

していたのですが、

それで福岡の両親に助けを

求める気になったのが、不幸中の

幸いであった気がします。

はっきり、「死にたい」と

両親に伝えたため、

その直後、近所の交番の

お巡りさんと、都内の親戚が

駆けつけてくれました。

会社からも、総務部の方が

自宅まで来てくれ、

思えばありがたい話だったのですが、

それほどまでの状態に、

私はなっていたのです。

そして、遅れて飛行機で駆けつけた

父に実家へ連れて帰られた

のですが、話はここから

でした。

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