夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

エンジニアの階段を昇って4

【はじめての方は、最初からお読みいただくことをオススメします。】

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こんにちは、謙児です。

その後、私は社内で「エース」

と呼ばれるように

なっていました。

他の会社で「エース」と

呼ばれていたような人

ばかりを集めてきた

ような会社で、

それでも、私は「エース」と

呼ばれていたのです。

今考えると、私は

モノスゴイ仕事を

やっていたことに

なるのだなぁ。

という気もするのですが、

その時は、ともかく

仕事に追い立てまくられて、

そんなことを意識する

余裕すら、ありませんでした。

ともかく目の前にある無数

とも思える問題を見つけ、

ひとつひとつ解決していく。

時間はいくらあっても

足りませんでした。

幾度となく、世を徹して

一睡もせずに仕事を

こなしました。

でないと、納期に間に合わない

ので、やるしかないのです。

そんなことを繰り返していたら、

どんどん体は本当は

悲鳴を上げていたのでしょう。

いつしか、無性に休みが

欲しくなりました。

本当は、もっと前から

休みが必要だったのですが、

仕事に一心不乱に

なっていた私は、

そのことに全く気付いて

いませんでした。

「限界を超えた」状態で、

やっとストップ

すべきことに気付けたのです。

ですが、残念ながら

時既に遅しでした。

とりあえず、内科に

数週間入院して

みたのですが、

大丈夫と思って

退院してみると、

あの忌々しい仕事の山

を思い出して、

出社拒否を起こす。

もう、どうしようもない

状態になっていました。

遠くの両親にSOSサインを

出したところ、

すぐに父が駆けつけたのですが、

父に諭された結論は

「会社を辞めて、実家へ戻れ」

という判断でした。

せっかく、これから株式上場

して、給料だって上がる

チャンスもあったのに、

何より、やりがいと

誇りを持ってやっていた仕事に

見切りをつけること、

それはそれは残念でした。

しかし、思うように

動いてくれない体、

父の判断が正しいと、

認めざるを得ませんでした。

実家に戻った後、

しばらくは家で

大人しくしていた

ようですが、

暴れたりも

していたようです。

まるで記憶に

無いんですけども。

そうして、入院

ということに

なったのですが、

最初は

「過労から来た

ストレスの蓄積」

と診断されていた

のですが、

後に、どうも違う

らしい、ということ

になって、

「心因反応」という

病名が付き、

更に後に、

統合失調症」と

診断された次第です。

こうして、私と

病気との付き合いが

はじまりました。

きっかけは、過労

でしたが、果たして

それだけで、

こんな診断名が

付くまでに悪化したのか?

それも謎です。

しかし、治療を

続けねば、前へは

進めません。

そう考えると、

退院後の回復具合は、

みるみるうちに、

って感じでは

ありました。

しかし、それで

乗り切ったと

思った自分は、

大間違いでした。

・・・つづく