夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

私の学生時代5

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こんにちは、謙児です。

その校外の活動とは、当時世間では「オタク」

と呼ばれる、あまり評判のよろしくなかった、

とある趣味のサークル活動です。

何の趣味か書いてしまうと、恐らく勘のいい人なら

私を特定できてしまうので書きませんが、

勉強よりも熱中していたことがありました。

その世界では、私はのけ者にされることが

一切ありませんでした。

そりゃそうでしょう、自分の好きなことですから、

かつて無いほどに生き生きしていましたことでしょう。

のけ者どころか、一目置かれる存在にまで

なれていたのです。

そんな活動を勉強そっちのけでやっていたおかげで、

人間関係とはかくあるべきものだ、ということを

やっと知ることができたのだと思います。

そんな活動を続けていたら、いつのまにか、

その世界では有名だった、ジャーナリストの

方にも、目をかけてもらえるまでに

なっていました。

「東京の大学に進学する気はないのか?」

ある日、地元に来ていたそのジャーナリスト

の方から、そう声をかけられました。

それは、もちろん「弟子として雇いたい」という

意味を指しています。

私は、やっと認めてもらえていたことに

気付き、小躍りして喜んだものです。

ところが、志望校のランクを伝えたところ、目を丸くして

驚かれました。

「君ほど能力のある者なら、大学なんて

どこへだって行けるだろうに、何でそんなところを?」

事情を知らない師は、そう言って大層不思議がりました。

そうです、私が無駄な時間を過ごさなければ、

実は軽々と東早慶くらい現役でも受かることを、

師は見抜いていたのです。

しかし、進学校とは言え、所詮2流ですから、

その学校から東京の御三家に進学するなど、

逆立ちしたって無理です。

まして、成績ビリに近い私には一生かかっても

無理な目標としか見えませんでした。

しかし、そのことをきっかけに、

「何があっても東京の大学に行くんだ!」

と、決意できたのも事実です。

その夜、私は両親に「東京の大学に行きたい」と

信念を持ってはっきり伝えました。

両親は寛大でした。あっさりOKが出ました。

後でわかったのですが、父も若い頃大都会に

憧れて、大阪の大学に進学していたので、

気持ちは十分に伝わっていた、とのこと

だったのです。

但し、後になってから、「頼むから2浪してくれ」

という条件がつきました。

「???」な条件ですよね。その心は・・・

・・・つづく