夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

さて、いつから私は「ごめんなさい」を多用するようになったのか

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こんにちは、謙児です。

今日は私の過去の話でもしようかと

思います。

疾患になる引き金になったのは、

過労だとは思っていますけども、

やっぱり、メンタル的に病みやすい

下地はあったのだろうな、

と今は考えていたりもします。

確かに、幼いころからとても

小さなことでも、くよくよ

していたほうでもありました。

暗く過ごしていた時期も長く、

そんな性格になってしまった

自分を恨んでいたことも

ありましたね。

確か、高校生の時くらいまで

でしょうか。

私は、悪いことがあっても

他人のせい」にすることで、

心の整理をつけていました。

ところが、環境の変化のせいか、

ちょうどその頃を境に、

「やっぱり自分が悪かった。

性格を変えなきゃ」

と思うようになりました。

理由は、私は変わり者なので、

よく学校で浮くようなことが

あったのですが、

中学の担任の先生が勧めてくれた、

遠い高校へ行くことで、

進学校だし、面子もほぼ入れ替わるので、

いい友達もできるよ」

アドバイスしてくれていたので、

高校生活にも期待していたの

ですが、やっぱり程なく

浮くような存在になってしまった

のですね。

おそらく、それから

「自分が悪い」と思うように

なったのだと思います。

しかし、本当に高校は遠かったです。

片道一時間半くらいかかるので、

まず通学で疲れ果てていまして、

部活など入る余裕すらなかったです。

しかも、最初の中間テストから

成績がビリに近く、

ギリギリで高校に受かったはずでも

ないのに、何故?と

納得できませんでした。

一応、一夜漬けながら、

ちゃんとテスト勉強

したのに、どうして?と

私だけでなく、担任の先生も

大層に不思議な顔をしていました。

大学受験向けの模擬試験なら、

まだマシというか、実は

現国にいたっては、勉強したことないのに

学年順位が二桁台だったりしたので、

たぶん高校のテスト形式が

自分には向いていなかった

んでしょうね。

とまあ、これだけ悪い条件が揃って

いるのなら、性格が下向くのも

無理はない気もしていたりします。

体調を崩して欠席したことは

幾度となくありましたけど、

ズル休みなど、もっての他で、

よく耐えられたものだと思います。

もっとも、遅刻はよくしてました

けどね。

その理由に素で、

「風が強かったので」とか

言ったりして、学校中の

笑い者になったりもしましたけど、

(これ、本当なんだけどな)

まあ、ヒドいものでした。

今では、いい思い出ですけどね。

事実の理由なんですが、

(向かい風が強いと、自転車、全然進まないのですよ)

遅刻した説明に、

「風が強かった」何て言って、

皆がどう思うか、想像もできなかった

とは、思えば当時から余裕もなくて、

病む寸前の状態だったのかも

という気すらしています。

そんな私を見かねて、そっと

見守ってくれていたような娘も

結構いたことを後で知ったのですが、

気付く余裕すらなかったみたいです。

男として情けなさすぎる私に、

色恋沙汰なんて考える資格なんて

ない、と思っていましたからね。

本当は、本音を聞いてくれるような

異性の存在があれば、

随分違っていたハズなんですけども。

そう接してくれれば、私も

何時間でも思うところを話して

いたでしょう。

ですので、その当時に

スクールカウンセリングなんて制度が

あれば、自分から相談していたところかと

思います。

ひょっとすれば、

「しばらく休みなさい」とか

単位制の高校へ転校を考えては?」

とか、言われていたところかも

しれません。

もしくは、現在のように

不登校の人が多ければ、

そんな手段を使うことに、

抵抗を覚えなかったかもしれません。

もっとも、そうであれば、

今とは違う自分が出来上がって

いた気もします。

地元から出て見識を広げる

こともなかったかも

しれませんし、

早くから結婚して、

平凡な家庭のお父さん

なっていたかもしれません。

今の状況と比べれば、

もちろんそうだったほうが

当然いいわけですが、

それを今更どうこう言っても

仕方はないです。

ともかく、こうして私は

病みやすい体質が造られていた、

と考えを巡らせています。

元々の性格にも原因が

ありますし、

本格的な発症までの

間の人生にも、いろいろ

ありました。

ただ、これは他人と比べようが

ないので、

「たったそれだけのことで

病気になるなんて」

と言う人もいるでしょう。

これだけ書いても、

「考え方が甘い」の一言で

済まされることもあるのが現実社会です。

ですが、結局何が言いたかったのか、

と言うと、私が「まず、自分が悪い」と

思いだし、「ごめんなさい」を

多用するようになった経緯は

こういうことで、高校生の時が

恐らく大きな最初の転換期

だった、ということです。

思い出したくもないことを、

あえて思いだしてみて

振り返って分析するのも、回復へ向かう

一つの手段なのかもしれませんね。

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