夢見る精神障害者

アスペルガー症候群なのか、統合失調症なのか、医者によって見解が違うのですが、今は両方の疾患名を持っています。 精神疾患にまつわるお話を綴りました。

私の学生時代7

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こんにちは、謙児です。

前回は、ちょっとみっともなかったですね。

気を取り直していきましょう。

さて、やっと受かった大学ですが、これまで

散々両親に私はわがままを言ってきました。

ですので、絶対に4年で卒業せねば、

という思いはありました。

しかし、その時はもう何とか同世代に

追いつけてはいたのでしょう。

仲間は簡単に見つかりました。

変に思われることも多分なかったのだと

思います。

そして、なにぶん私の行った学部は

俗に当時は「パラダイス」とも呼ばれていて、

回り道をして浪人してきた自分には、

あっけない感じでした。

まず、付属上がりが多いので、彼らが

テストの平均点を下げてくれます。

一般入試で入ってきた者も、本当に

点を取るためのテクニックしか知らず、

回り道して余計な知識を溜め込んで

いた私には、講義は決して難しく

感じませんでした。

実際、順位こそわかりませんが、

半分以上の単位で「優」を取れました。

2年浪人したおかげで、師の弟子の話は

流れてしまいましたが、事務所へ

遊びに行ったり、同世代の同好の士を

たくさん見つけることもでき、

まさに青春を謳歌した4年間でした。

親には無理を言いましたが、

かけがえのないキャンパスライフ

だったと今でも思っています。

しかし、就職活動は大変でした。

ちょうどその時はバブル景気が

はじけた後の上、大学卒業見込み

者も一番多い時で、ともかく

内定が取れないのです。

志願者が多いところばかり

受けていたせいもあるのでしょうが、

まず面接までなかなか進めない、

やっと進めても面接慣れしていないので、

失敗するという具合で散々でした。

しかし、就職浪人をするつもり

まではさらさらなかったので、

粘り強く頑張り、やっと4年の

秋にそこそこ従業員数だけは

多い、歴史ある会社の内定が

取れました。

正直、本意ではありませんでしたが、

実家からそんなに遠くない、

ということもあり、訳わかんない

会社に行くよりはマシかと

そこへ入社することに決めました。

東京とお別れするのは辛かった

ですが、何とかなるさ、と

大船に乗ったつもりでいました。

ですが、幸せを感じるひと時は

それが20代では最後となりました。

やはり社会というところは、

弱肉強食の厳しい世界だったと

噛み締めることとなります。

それはまた、今度の機会に

書くことにしましょう。